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Exhibition Archives

​能登「あれから一年」展
2025年1月5日 ー1月31日
電気湯 東京都墨田区京島3-10-10

能登「あれから1年」展は1月31日を持ちまして無事終了しました。
足を運んでくださった皆さま、いつも見ていただいた京島の皆さま、1ヶ月間本当にありがとうございました。
 
 この1年能登へ通い続け、ボランティアや知人の手伝いに明け暮れていました。ふと東京へ帰ってきた時、そこには当たり前のように「日常」があり、能登との大きなギャップを感じざるを得ませんでした。

 さらに全国的な報道が少なくなっていく中で、自分たちで「能登のいま」を伝えていくべきかもしれないと思い立ちました。そのタイミングで電気湯店長の大久保さんより「電気湯でやらない?」とお声がけいただき、「あれから1年」展に至りました。
 
 電気湯はいうまでもなく京島の皆さんの「生活空間」であり、「日常」が営まれている場所です。ここで展示すると決まった時に、ここでの「日常」は壊したくないなと思いました。ここでの「日常」をそのままに、「能登の今」を伝えるためにはどうしたらいいか、考えました。メインの会場を浴槽に設定し、展示の中心を「能登とあなたの話を聞かせてください」というインタビュー企画にしました。
12月初頭に立案し、展示準備メンバーを募り(結果的に25人ほどの大所帯)インタビュアー5人ほどで能登へ向かい、海浜あみだ湯のロビーを中心にお話集めに奔走しました。そうして、、、みんなでデザインし、編集し、本当に多くの方のお力添えのおかげで、この規模の展示が成り立ちました。
 
 「あれから1年」をドキドキの中、無事に過ごし迎えた会期初日。チンドン屋が京島を練り歩き、初日を飾ってくれました。SNSではない街とのコミュニケーションをはかり、街に挨拶して周りました。11日には珠洲市から「惚惚」を営むRIKUさんを、26日には珠洲と金沢から鹿野桃香さんと新谷健太さんをお招きし、「地震日記」の朗読会とお話会を開催しました。

 数人の呼びかけで始まった展示は、終わってみればたくさんのメンバーが集まり、思いがけず大規模展示になりました。展示作りの段階から「能登」に関わる人を増やし、メディアにも取り上げていただいて、思いの外広がってくれたように思います。
 湯に浸かり眺める水平線や能登の話は、電気湯の少し熱めのお湯と共に皆さんの元へと届いたでしょうか。湯屋は一つの生き物としての船だと思います。みながそれぞれに乗り合い、緩やかに風を受け、蛇行しながら進む。少しでも暖かい「日常」の方へ、向かって行きましょう。「ここ」と地続きである「能登」に、想いを馳せるきっかけになれたら幸いです。

最後に「あれから1年」展に関わって頂いた全ての方に感謝します。

「あれから1年」展 主催 みききする能登 浅見 風

「さいはてのまんなか」
2024年 10月2日〜10月6日

​清澄白河 くう・ねる・はねる 清澄のハコ ハタメキ にて

さて、今年元日に発生した能登半島地震から10ヶ月。報道にもあったように、上下水道の復旧が遅れ、進まぬ解体工事や慢性的なボランティア不足など問題が山積みでした。それでも遅くても、毎月毎月少しづつ街の景色が変わり、避難所から仮設住宅に人が移り、能登の肝である祭りが行われ、少しでも復興の兆しが見えてきていたところでした。

そんな能登に追い打ちをかけるように9月21日から発生している大雨に伴う河川の氾濫や土砂崩れ。これには現地の知人友人たちからの「もうだめかもしれない」という声、腹の下あたりに重いパンチを喰らいながら、現地へ向かいます。(9月24日〜)

 さいはて、とは辞書によると「中央から遠く離れ、これより先がない、いちばん外れの所」とあります。半島であるが故の不便さと牧歌的な原風景、能登の優しさや土までも、と謳われるほどの人の暖かさとやさしさ。初めてこの地を歩いてまわった3年前、たくさん出逢いに助けられた。僕の中で「さいはて」という言葉は、行き止まり感ではなく、その先に奥能登の豊かな風景と共に記憶に定着していきました。圧倒的な自然の力を前にして立ち尽くし、呆然としながら歩みをやめずやり続ける。それによって好きだった能登の風景、とりわけあの人やあの人の笑った顔が見れますように。さいはての地、人のまんなかにて。

 

アートボード 6.JPG
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「暮れてきたので、薪をくべてくれ」
2024年11月7日〜11月30日
はかりうりのお店 Lagi にて


1月1日に発生した能登半島地震からもうすぐ1年が経ちます。
地震や津波でぐちゃぐちゃになった奥能登。慢性的なボランティア不足や上下水道の復旧が遅れ、解体工事も進んでおらず、現地は問題が山積みでした。それでも遅くても、毎月毎月少しづつ街の景色が変わり、避難所から仮設住宅に人が移り、仮設食堂ができたり、能登の肝である祭りが行われ、少しでも復興の兆しが見えてきていたタイミングでした。そんな奥能登で9月、今度は大雨が猛威を振るいます。地震で助かった家も、できたばかりの仮設住宅も泥や水が入り込み、前を向き始めていた人々の心もろともへし折っていきました。なんの巡り合わせか何十年と起こってなかったことが、同じ年に2度。また家を失い、避難所に逆もどりなんて声も耳にします。
地元を出ざるを得ない人たちもたくさんいます。そんな地域で知人たちは、それでもこの街で生きていくんだと思い強く持ち、日々さまざまな災害等の対応にあたってます。また安心してこの地に住めるように。

 2021年に出会った奥能登、テントを背負って旅した時に本当にみんなに優しく声をかけてもらったのが能登での原体験です。今度はこちらが何かできることがあるのなら返していく番だ、と思い3月から毎月通ってボランティアをしています。
大雨を受けてその3日後には現地に戻り、泥かきをしたりと。でもまだまだ人手不足で、家屋の泥出しなどが追い付かぬまま、また冬がやってこようとしています。
混乱の最中、濁流の列島のさいはてで、澄んだ空。炊き出しを続けるあの人も、灯台のようなあの人も、薪で沸かし続ける銭湯も、瓦礫の闇夜で行われたあの日のキリコ祭りも、まんなかには常に人の熱がある。
僕ら自身もできることに限りはあるけれど、薪の一つにでもなれたらなって、

あ、そろそろ今日も暮れてきたので、薪をくべてくれ。

 

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